
ノーリフティングケアとは
ノーリフティングケアは人力で持ち上げない・抱え上げない・引きずらないを原則に、移乗リフトやスライディングボード等の福祉用具で介護者と利用者双方を守るケア技術。オーストラリア発祥の起源、厚労省指針との関係、施設・在宅での実装手順、福祉用具の選び方まで解説。
この記事のポイント
ノーリフティングケア(持ち上げないケア)とは、「人力で持ち上げない・抱え上げない・引きずらない」を原則とし、移乗リフトやスライディングボード等の福祉用具を活用して介護者・利用者双方の安全と尊厳を守るケア技術です。1998年頃にオーストラリアの看護連盟が提唱し、日本では神奈川県・高知県・佐賀県などの先進自治体と日本ノーリフト協会を中心に普及しています。厚労省「職場における腰痛予防対策指針」(2013年改訂)でも介護現場での福祉用具活用が明示されました。
目次
ノーリフティングケアの定義と3原則
ノーリフティングケア(No Lifting Care)は、移乗・体位変換・移動などの介護場面で、原則として人力のみで人を持ち上げる行為を行わないケアの考え方です。重量の数値(例:20kg以上)にかかわらず、まず福祉用具の活用を前提とする点に特徴があります。日本ノーリフト協会では次の3原則を掲げています。
- 持ち上げない:抱え上げを伴う移乗を行わない
- 抱え上げない:脇を抱える・腕を引き上げる動作を避ける
- 引きずらない:摩擦で皮膚剥離や褥瘡を生むずらし動作を行わない
起源:オーストラリア・英国の労働安全運動
制度的なルーツは1998年、オーストラリア看護連盟(Australian Nursing Federation)が「No Lift Policy(持ち上げない方針)」を発表したことに始まります。英国では1992年制定の「Manual Handling Operations Regulations 1992(手作業による負荷取扱いに関する規則)」が、雇用主に対し人力での重量物取扱いをリスクアセスメントで評価し、可能な限り機械化することを義務づけました。これらの取り組みは、看護・介護職の腰痛が業界全体で深刻な労働災害として認知されたことが背景にあります。
日本での普及:先進自治体と業界団体
日本では2000年代に入り、神奈川県・高知県・佐賀県などの自治体が先進的に導入を進めました。高知県は2014年に「ノーリフティングケア宣言」を出し、県内の介護・医療事業所に対する研修体制を整備。日本ノーリフト協会と全国ノーリフティング推進協会の2団体が、ベーシック研修から指導者養成まで段階的なコースを提供しています。2021年度の介護報酬改定では、ノーリフティングケアの取り組みが評価対象として組み込まれ、政策的にも後押しされています。
「ノーリフティングポリシー」との違い
「ノーリフティングポリシー」は事業所として抱え上げを禁止する組織方針を指し、ノーリフティングケアは方針に基づく個別ケアの実践技術を指します。ポリシーを掲げても現場の技術と用具がなければ実装できないため、両者は車の両輪の関係にあります。
なぜノーリフティングケアが必要か:腰痛と労災の数字
厚生労働省「業務上疾病発生状況等調査」では、社会福祉施設で発生する休業4日以上の労働災害のうち、負傷災害の最多原因は「動作の反動・無理な動作」であり、その大半は腰痛です。介護職の腰痛発生率は全産業平均を大きく上回り、長く「職業病」として扱われてきました。一度発症すると慢性化しやすく、離職の主要因にもなります。
厚労省「職場における腰痛予防対策指針」(2013年改訂)の要点
厚労省は1994年に策定した腰痛予防対策指針を2013年に19年ぶりに全面改訂し、介護・看護分野を独立した章として明記しました。改訂のポイントは次のとおりです。
- 適用範囲を「重量物取扱い」中心から「介護・看護等の対人サービス」まで拡大
- 介護作業について「原則として人力での人の抱え上げは行わせない」と明記
- 福祉用具(リフト等)の積極的な活用を雇用主に求める
- リスクアセスメントと記録の徹底、健康診断・教育の実施を要求
この改訂により、人力抱え上げ中心の介助は労働安全衛生上「望ましくない」ことが公式に位置づけられ、ノーリフティングケア普及の制度的後ろ盾となりました。
利用者側のメリット:安全と尊厳
ノーリフティングケアの効果は介護者の腰痛予防だけではありません。利用者側にも次のようなメリットがあります。
- 皮膚剥離・骨折のリスク低下:強い力で引き上げる動作が減る
- 転倒・落下事故の減少:機器による支えで急な体勢変化が起こりにくい
- 移乗時の恐怖心・苦痛の軽減:ゆっくり安定した移乗が可能
- 関節拘縮・痛みの悪化予防:無理な角度をつけない
- 1人介助化による尊厳の保持:複数人に囲まれず静かに介助を受けられる
導入の4ステップ:アセスメントから評価サイクルまで
ノーリフティングケアは「リフトを買えば終わり」ではなく、アセスメント・用具選定・スタッフ教育・評価のサイクルで初めて機能します。施設・在宅いずれでも基本フローは共通です。
Step 1:個別アセスメント
利用者ごとに残存機能・関節可動域・痛みの有無・認知機能・体重・体型を評価します。理学療法士・作業療法士・看護師の専門知見が役立つ場面です。「立位保持できるか」「座位を安定して保てるか」で必要な用具タイプが変わります。在宅ではケアマネジャーや訪問リハ職に相談するのが近道です。
Step 2:福祉用具の選定と導入
アセスメントに基づき適切な用具を選びます(具体例は次のtipsセクション)。施設では一度に揃えず、最も負担の大きい場面(夜間移乗・浴室移乗等)から段階的に導入するのが現実的です。在宅では介護保険のレンタル制度(要介護2以上で移動用リフト対象)を活用し、月数千円の自己負担で本体を導入できます。
Step 3:スタッフ・家族の研修
用具を導入しても使い方が分からなければ宝の持ち腐れです。日本ノーリフト協会等のベーシック研修受講、メーカーによる現場デモ、施設内伝達研修を組み合わせます。家族介護では福祉用具専門相談員から使い方説明を受けることが法令で義務づけられています。
Step 4:評価とサイクル化
導入後は腰痛発生率・労災件数・利用者の事故件数・スタッフ満足度をモニタリングし、3〜6か月単位で見直します。利用者の状態変化(ADL低下・体重変化等)に応じて用具を見直すことも重要です。「導入したまま放置」が最も失敗するパターンです。
主要な福祉用具:移乗リフト・スライディングボード・移乗ベルト
ノーリフティングケアで使われる代表的な福祉用具を、用途別に整理します。
移乗リフト(床走行式・天井走行式・スタンディング型)
立位保持が困難な利用者をスリングシートで包み、機械の力で持ち上げ移乗する用具です。床走行式はキャスター付きで部屋間移動が可能、天井走行式はレール設置工事が必要だが介助者の負担が最小、スタンディング型は立位部分介助が可能な利用者向けで、トイレ移乗に有効です。介護保険レンタル対象(要介護2以上、本体のみ。スリングシートは特定福祉用具購入扱い)。
スライディングボード(移乗ボード)
ベッドと車椅子の隙間に渡し、座位姿勢のまま滑らせて移乗する硬質ボードです。立位保持はできないが座位は安定する利用者に適し、1人介助で移乗を完結できるのが最大の利点です。価格は5,000〜30,000円程度。詳細は移乗ボードの解説を参照してください。
スライディングシート
2枚重ねの低摩擦シートで、体の下に敷くと小さな力で位置移動・体位変換が可能になります。1,000円台から購入でき、最も導入しやすい用具です。「ベッド上で体をずらす」「車椅子座面を奥に座り直す」場面で威力を発揮します。
移乗ベルト・介助ベルト
利用者の腰や胸に巻き、介助者がしっかり把持できるようにするベルトです。立ち上がり・歩行介助で介助者が引き上げる動作を最小化します。「服を引っ張る」「腕を掴む」より圧倒的に安全です。
ターンテーブル(回転盤)
立位状態で利用者の足元に置き、ねじれ動作なしで180度回転できる円盤型用具です。トイレ・ベッド・車椅子間の移乗で、介助者の腰のひねりを防ぎます。
その他:体位変換補助具・電動ベッド
背上げ・脚上げ機能付きの電動ベッド、体圧分散マットレス、ポジショニングクッション等も広い意味でノーリフティングケアを支える用具群です。
在宅介護でも使える:介護保険レンタルとの組み合わせ
家族介護でも上記用具の多くは介護保険レンタル(月額1〜3割負担)で導入できます。スライディングシートは保険対象外ですが2,000円程度で購入可能。「家族の腰を守ること」は介護の継続性に直結するため、ケアマネジャーに早めに相談しましょう。詳しくは福祉用具とはを参照してください。
よくある質問
Q. ノーリフティングケアとボディメカニクスはどちらが優先?
A. ノーリフティングケアが上位概念です。ボディメカニクスは「人力介助時に体を効率的に使う技術」ですが、厚労省指針は「人力での抱え上げを原則行わせない」としており、まず用具活用を検討し、用具が使えない場面で補助的にボディメカニクスを用いる順序になります。
Q. 小規模事業所でリフトを買う予算がない場合は?
A. 厚労省「介護ロボット導入支援事業」「働き方改革推進支援助成金(職場意識改善コース)」や、自治体独自の補助金が活用できます。まずはスライディングシート(1,000円台)から始め、効果を見て段階的に拡大する事業所が多いです。
Q. 利用者が「機械はイヤ、人の手で運んでほしい」と言ったら?
A. 初回はほぼ全員が抵抗感を示します。事前に動画を見せる・スタッフが先にデモする・体験移乗を行うなど段階的な慣らしが有効です。一度経験すると「揺れず安定する」「怖くない」と評価が変わるケースが多いことが、各先進事業所の報告で示されています。
Q. 家族介護で導入を検討しています。何から始めるべき?
A. ケアマネジャーへの相談が最初の一歩です。要介護2以上で移動用リフトのレンタルが介護保険対象になります。スライディングシートは保険外ですが2,000円程度で買えるので、まずこれから試すのが現実的です。福祉用具専門相談員が無料で使い方を説明してくれます。
Q. 認知症の利用者でも使えますか?
A. はい。ただし急に機械に乗せると不安が増すため、声かけ・予告・ゆっくりした動作が重要です。むしろ複数人で抱え上げられる方が混乱や抵抗を強めるケースもあり、1人介助で静かに移乗できるリフトが認知症ケアと相性が良いとの報告もあります。
参考資料
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まとめ
ノーリフティングケアは、介護者の腰痛と利用者の事故・苦痛という二重の負荷を同時に下げる合理的なケア技術です。オーストラリア発祥の労働安全運動が起点ですが、日本でも厚労省指針・介護報酬・自治体施策に組み込まれ、施設・在宅を問わず標準的な選択肢になりつつあります。「アセスメント→用具→研修→評価」の4ステップで段階的に始められ、家族介護でも介護保険レンタルを活用すれば月数千円から導入可能です。まずはスライディングシート1枚から、現場や家庭で試してみることをおすすめします。
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執筆者
介護のハタラクナカマ編集部
編集部
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