
ノーリフトケアとは?持ち上げない介護の考え方と現場での進め方
ノーリフトケア(持ち上げない介護)の基本を解説。オーストラリア発祥の歴史、高知県ノーリフティング宣言、リフト・スライディングシート・移乗ボードの使い分け、腰痛予防効果、導入手順と研修制度まで公的データを根拠に整理しました。
イントロ
「夜勤明けに腰が伸びない」「移乗介助のたびにコルセットを巻き直している」——介護や看護の現場で、このような声は珍しくありません。厚生労働省の業務上疾病発生状況調査では、保健衛生業の休業4日以上の腰痛が全業種の約3割を占め、製造業など他業種が減少傾向にあるなかで保健衛生業だけが増加を続けているのが実態です。
この状況を変えるために世界中で広がっているのが ノーリフトケア(ノーリフティングケア/持ち上げない介護) という考え方です。オーストラリア看護連盟が1998年に提唱した「押さない・引かない・持ち上げない・ねじらない・運ばない」という5つの原則を土台に、リフトやスライディングシート、移乗ボードといった福祉用具を活用しながら、介護者・被介護者の双方にとって安全な環境を組織ぐるみでつくる労働安全マネジメントです。
この記事では、公的機関や日本ノーリフト協会など一次情報にあたれる資料をもとに、次のポイントを整理します。
- ノーリフトケアの定義と、ボディメカニクスとの決定的な違い
- オーストラリア発祥の歴史と、高知県の「ノーリフティング宣言」に始まる日本での広がり
- 床走行リフト・スタンディングリフト・スライディングシート・移乗ボードなど主要福祉用具の役割
- 腰痛予防と利用者QOL向上の具体的エビデンス
- 介護施設でノーリフトケアを導入する際の実務ステップと研修制度
転職やキャリアアップを考える介護職にとって、ノーリフトケアを導入している施設を見極める力は「長く働ける職場選び」の重要な指標になります。読み終えるころには、面接で施設の姿勢を見抜く質問や、自分が現場で最初の一歩を踏み出すための手順まで把握できる構成になっています。
ノーリフトケアの定義と基本原則
ノーリフトケアを一言で表すと「人力だけで人を持ち上げる介助を原則として行わず、アセスメントに基づいて適切な福祉用具を活用することで、介護者・被介護者の双方を守る包括的なケアの仕組み」です。日本ノーリフト協会の定義によれば、単なる技術論ではなく、腰痛予防やケアの質向上を目的とした教育プログラムであり、組織マネジメントと地域福祉への貢献までを射程に含みます。
5つのキーワード:押さない・引かない・持ち上げない・ねじらない・運ばない
オーストラリアで提唱された「ノーリフティングポリシー」は、ケア中に腰を痛めやすい動作を5つのキーワードに整理しました。
- 押さない:座位の利用者を背中から押して立たせる、車いすを力任せに押す
- 引かない:腕や肩を引っ張ってベッド上で位置を変える
- 持ち上げない:抱え上げてベッドから車いすへ移乗する
- ねじらない:足元を動かさずに上半身だけを回して移乗動作を行う
- 運ばない:自分の身体で利用者の体重を支えて移動する
これら5つはいずれも、体幹から腕が離れる「不良姿勢」を生む動作です。日本ノーリフト協会は「体幹から腕が離れたら不良姿勢の始まり」と定義し、この状態を発生させないことを原則に掲げています。鞄を体幹に近い位置で持つと軽く感じ、離して持つと重く感じるのと同じ原理で、介護動作でも体幹から離れた位置で荷重を支えると腰への負担が一気に増えます。
ボディメカニクスとは何が違うのか
日本の介護現場で長年「腰痛予防といえばボディメカニクス」と指導されてきました。しかしノーリフトケアの立場は明確で、ボディメカニクスだけでは現代の医療・介護職の腰痛は予防できないとしています。理由は主に3つあります。
- 個人の習熟度に依存する:同じ技術でも介助者の身長・体格・筋力で効果がばらつく
- 利用者の協力が前提:拘縮や麻痺がある利用者では教科書通りに動かない
- 「個人の努力」が限界:組織として体制を整えない限り継続できない
ノーリフトケアは技術ではなく「労働安全衛生マネジメントシステム」として位置づけられ、リスクアセスメント→福祉用具の導入→環境整備→教育→評価というPDCAを組織として回すことを求めます。この点が「個人の技」にとどまるボディメカニクスとの最大の違いです。
「福祉用具に頼るのは心がない」は誤解
ノーリフトケア普及の初期、「機械で持ち上げるなんて冷たい」という抵抗が日本でもオーストラリアでも起きました。しかし10年以上の実践を経てオーストラリアの看護師は「用具を使って心のないケアに見えるのは、用具を使う人がプロの視点で声かけやタッチングをしていないからだ。用具があるのに使わないのは、知識がない人だ」と語っています(パシフィックサプライ社報より)。
実際、床走行リフトで吊り上げられた利用者は「広い面積で支えられてハンモックに乗っているようでリラックスできる」と報告されています。力任せの人力移乗では強い刺激が筋緊張を高め、拘縮を悪化させる恐れがあるのに対し、リフトを使えば緩やかな支持面で身体がほぐれます。尊厳を守るからこそ用具を使うという発想の転換が、ノーリフトケアの核心です。
オーストラリア発祥の歴史と日本への導入
ノーリフトケアがどうやって世界中に広がったのかを理解することは、日本の現場で説得力をもって推進するうえで役立ちます。ここではオーストラリアでの誕生から日本での制度化までの流れを時系列で整理します。
1998年:オーストラリア看護連盟「ノーリフティングポリシー」制定
1990年代のオーストラリアでは、看護・介護職の腰痛による離職や労災申請が急増していました。この問題に対し、1998年にオーストラリア看護連盟(ANF)が「ノーリフティングポリシー」を提唱。労働安全衛生リスクマネジメントシステム(OHS Risk Management)を基本とした腰痛予防対策プロジェクトを立ち上げ、福祉用具(ホイスト・スタンディングマシン・スライディングシートなど)を前提とした作業手順を全面的に導入しました。
その結果、2002年には腰痛関連コストが54〜74%減少したと報告されています(パシフィックサプライ「持ちあげない看護・抱えあげない介護」より)。「ノーリフティング」という言葉が長く現場で使いにくかったため、略して「ノーリフト」と呼ばれるようになりました。
2009年:日本ノーリフト協会の設立と日豪国際フォーラム
日本への本格的な導入は、オーストラリア・フリンダース大学で看護学を学んだ保田淳子氏らが中心となり、2009年1月25日に兵庫県医師会館で開催された日豪国際フォーラムがきっかけです(医学書院「WOC Nursing」より)。ANFでノーリフティングポリシーの制定に10年以上関わってきたJeanette Sdrinis氏の基調講演を皮切りに、同年「一般社団法人日本ノーリフト協会」が設立されました。
協会はオーストラリアの「No Lift No Injury」プログラムや「Manual Handling for Health Care」を参考に、日本で使われている腰痛予防教育、腰痛関連調査票、患者情報シート、身体アセスメント票を組み合わせ、日本版ノーリフト3日間研修プログラムを作成。修了者は「ノーリフトコーディネーター」として各施設の推進役を担います。
2013年:厚生労働省「職場における腰痛予防対策指針」改訂
公的な位置づけとして決定的だったのは、2013年の厚生労働省による「職場における腰痛予防対策指針」改訂です。指針には「人力での抱え上げは、原則行わせない。リフトなど福祉機器の活用を促す」ことが明記されました。これは、従来ボディメカニクスに依存していた日本の介護・看護教育から大きく舵を切った瞬間でした。
ただし、厚労省の「令和4年業務上疾病発生状況等調査」によれば、保健衛生業の腰痛件数は2,050件と全業種5,959件の約3割を占め、依然として最多です。指針が現場に浸透するには、具体的な導入支援が必要だとわかります。
2016年:高知県「高知家ノーリフティングケア宣言」
自治体レベルで全国に先駆けて取り組んだのが高知県です。2016年、県として「高知家ノーリフティングケア宣言」を公表し、「介護福祉機器等導入支援事業費補助金」を予算化。県内の介護施設に対して福祉用具導入・研修受講を支援する仕組みを整えました。
高知県のモデル施設での実証では、スタッフの腰痛・疲労感が減少し、利用者の笑顔が増えるなど大きな成果が報告されています。令和2年度には厚生労働省の「介護サービス等における生産性向上に資するパイロット事業」でも高知県の介護老人保健施設ヘルシーケアなはり、介護老人保健施設夢の里、特別養護老人ホームウエルプラザやまだ荘などで効果検証が行われました。
2021年〜:介護報酬改定と第14次労働災害防止計画
制度的な後押しは2020年代に入って加速しています。
- 2021年4月の介護報酬改定:介護職員処遇改善加算の「職場環境等要件」に「腰痛を含む心身の健康管理」が追加され、ノーリフティングケア関連の取り組みが加算の対象に
- 第14次労働災害防止計画(2023〜2027年度):厚生労働省が「介護・看護作業においてノーリフトケアを導入している事業場の割合を2023年と比較して2027年までに増加させる」ことを明確な数値目標に設定
つまり、ノーリフトケアは今や「先進的な施設の取り組み」ではなく、国が公式に普及を推進する政策項目へと位置づけが変わっています。求職者としてこの流れを知っておくと、施設の取り組み姿勢から将来性を判断する材料になります。
主要な福祉用具と使い分け:リフト・スライディングシート・移乗ボード
ノーリフトケアでは、利用者の残存機能(立位保持できるか、座位保持できるか、全介助か)に応じて福祉用具を選びます。ここでは代表的な用具の役割と使い分けを、利用場面別に整理します。
床走行式リフト:全介助者の移乗に
キャスター付きの本体にアームが付き、スリングシートで利用者を吊り上げてベッドから車いすなどへ移乗させる用具です。座位保持・立位保持ができない全介助者に適しています。日本ノーリフト協会の分類では「全介助が必要な場合は、リフトなどを活用」と位置づけられます。
利点は、介助者1人でもアームを操作して移乗できること、広い面積で身体を支えるため利用者がリラックスできること、皮膚剥離や転倒のリスクが激減することです。設置スペースと電源の準備が必要で、スリングシートの選定・装着手順の研修が欠かせません。
天井走行式リフト:動線が固定された居室に
天井レールに沿ってリフト本体が走行する方式です。床走行式と違ってキャスターが床にないため、ベッド下や狭い居室でもスムーズに移乗できます。高知県の特別養護老人ホーム梼原ふじの家では、補助金を活用してスカイリフト2台を導入した事例が公開されています。初期投資は大きいものの、日常的に移乗回数が多い個室環境では圧倒的に作業効率が上がります。
スタンディングマシーン(スタンディングリフト):座位は保てるが立てない人に
膝と腰をサポートして座位から立位への動きを補助する用具です。座位保持ができ、軽い足支持は残っている利用者に向いています。TOTOユニバーサルデザインの記事で下元佳子氏が指摘するように、オーストラリアではリハビリ室にもスタンディングリフトが導入されており、「膝から下に体重がかかるため、毎日使用することでリフトなしでも立てるようになる事例がある」とされます。
つまり、スタンディングリフトは単に持ち上げないための用具ではなく、残存機能を引き出すリハビリ機器でもあるわけです。
スライディングシート:ベッド上の体位変換・水平移動に
低摩擦の素材でつくられた袋状または二枚重ねのシートです。利用者の身体の下に敷き込み、摩擦を減らして水平に滑らせることで、ベッド上の上方移動、体位変換、ストレッチャーへの平行移乗などが人力でも軽い力で行えます。
公益財団法人テクノエイド協会「福祉用具シリーズVOL.26」によれば、シートの厚みは0.1mm以下の薄型から、身体に触れる面を考慮した厚手まで多様で、入浴場面では「濡れても滑るタイプ」と「濡れると滑らなくなるタイプ」があるため事前確認が必要です。
敷き込みは「ポケットに手を入れるように」二枚のシートの間に手を差し込み、重さのかかっていない側から水平に引き抜くのが基本。上側から引っ張ると利用者の姿勢が崩れ、介助者も余計な力を使ってしまいます。
スライディングボード(移乗ボード):座ったまま横移動
木製や樹脂製の板状の用具で、ベッドと車いすの間に渡して座位のままお尻を滑らせて移乗します。座位は保てるが立ち上がりができない利用者に最適で、機能訓練にも活用されます。株式会社ヤマシタの解説によれば、イージーグライドのようにボードの端が折れ曲がって突起物から身体を守る製品もあります。
注意点は、立位能力が残っている利用者に頻繁に使うと機能低下を招く恐れがあること。お尻の下にボードを差し込む際に利用者の体を持ち上げてしまうと腰を痛めるため、体重移動で身体を傾けてスペースをつくる手順を守る必要があります。
その他の用具:マルチグローブ・入浴用リフト・介助バー
- マルチグローブ(介助グローブ):滑りやすい素材のグローブを利用者の踵や腰に当て、摩擦を減らしながら姿勢を整える
- 入浴用リフト・入浴用ストレッチャー:濡れた環境で最も転倒リスクが高い入浴場面で、抱え上げを排除
- 電動ベッド・超低床ベッド:高さ調整により不良姿勢を発生させない、転落時の衝撃を減らす
- 据置式レール型リフト:天井改修が難しい住宅・施設で、部屋の一部に簡易レールを設置
ポイントは1つの用具で完結させようとせず、利用者ごとに用具を組み合わせること。アセスメントで「この方は座位保持が可能か」「立位保持は?」を見極め、最小限の介助で最大限の残存機能を引き出す組み合わせを選ぶのがノーリフトケアの基本です。
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腰痛予防と利用者QOL向上のエビデンス
ノーリフトケアが「よさそう」なだけでなく、数字で示される効果があることは、現場で説得材料を集めるうえで重要です。ここでは公的な調査・協会データから根拠を整理します。
労災・腰痛コストの削減効果
オーストラリアでの導入成果は顕著です。オーストラリア看護連盟の報告では、ノーリフティングポリシー導入後、2002年までに腰痛関連コストが54〜74%減少しました。また日本ノーリフト協会の集計では、導入後1年間で労災申請数と申請費用が約46%減少したというデータもあります。
日本国内でも、厚生労働省「令和2年度介護サービス等における生産性向上に資するパイロット事業」で高知県内の介護老人保健施設・特別養護老人ホームにおける実証事業が行われ、職員の負担軽減と利用者QOL向上の両面で定量・定性的な効果が確認されています。
腰痛有訴率:依然として介護職の半数近くが悩む
2000年代半ばの大阪府内の特別養護老人ホーム7施設の調査では、介護職員の70.0%が腰痛有訴者でした。UAゼンセン日本介護クラフトユニオン(NCCU)の調査でも、仕事が原因で腰痛が「ある」と回答した人は46.4%と、介護職の約半数が現在も腰痛に悩んでいます。
一方で同じ調査では「ノーリフトケアを導入している」との回答は5.8%にとどまるとされ、導入すれば大きな効果が期待できるのに普及が進んでいないという構造的な課題が見えます。ここには「福祉用具を買う予算がない」「使い方を指導できる人がいない」「文化として定着していない」という複数の要因があります。
介護用リフトの普及率はまだ5%未満
公益財団法人介護労働安定センターの「令和4年度介護労働実態調査」によれば、介護用リフトを導入していると答えた施設は全体の4.9%にとどまります。つまり、リフトがある施設を選べるというだけで、職員にとっては腰を守れる確率が大幅に高まる環境だといえます。
業務効率化:2〜3人介助が1人で可能に
効果は腰痛予防にとどまりません。オーストラリアの報告によると、ノーリフトケア導入によりこれまで2〜3人で行っていた移乗介助が1人で実施可能になりました。人員配置の最適化につながり、夜勤帯のように人手が限られる時間帯でも安全に介助できます。
高知県のモデル施設では、電動ベッドを全床導入したことで「ベッドの高さ調整が容易になり、前かがみや中腰などの不良姿勢が減った」「他部署(看護・栄養など)にも意識が波及した」といった波及効果も報告されています。
利用者側のメリット:皮膚剥離・拘縮・転倒の減少
力任せの介助は利用者側にもダメージを与えます。具体的には次のようなリスクがあります。
- 皮膚剥離:高齢者の薄い皮膚は、掴まれただけで剥離する
- 内出血・打撲:移乗中にどこかにぶつける
- 筋緊張の亢進・拘縮の悪化:強い外的刺激で身体がこわばる
- 転倒:ベッドサイドで介助者が体勢を崩す
ノーリフトケアでは広い面積で身体を支え、ゆっくりと移動するため、これらのリスクが軽減されます。日本ノーリフト協会は「スタンディングリフトの使用が良いリハビリとなり、自立度が向上する」ともまとめており、用具の活用が自立支援と両立することがわかっています。
離職率・採用コストへの波及
身体が守られる職場は人材が定着します。ハンドレッドライフの導入事例では「ノーリフトケア導入後、職員の腰痛訴えが6割減少し、離職率も大幅に改善した」という中規模特別養護老人ホームの結果が紹介されています。離職が減れば採用コストも減り、経営面でもプラスに働くため、厚生労働省の第14次労働災害防止計画はノーリフトケアを政策目標に据えたわけです。
ここまでのエビデンスをまとめると、ノーリフトケアは「職員の腰を守る」だけの話ではなく、労災・離職・ケアの質・経営すべてに効く総合的な経営戦略として位置づけられています。
介護現場でのノーリフトケア導入手順
ノーリフトケアは「リフトを買えば終わり」ではありません。日本ノーリフト協会や愛媛県ノーリフティングケア普及啓発モデル事業の資料では、PDCAサイクルに沿った段階的な導入が推奨されています。ここでは実務で使える6ステップに整理します。
STEP1:管理者の決意表明と推進チーム編成
最初にやるべきなのは管理者自身が「人力での抱え上げはさせない」と宣言することです。愛媛県の資料では、管理者が取り組みを認めていない段階から、普及推進リーダーとして行動実践している段階まで4段階の評価軸が示されています。
次に推進チームを編成します。高知県の特別養護老人ホーム梼原ふじの家では、施設長・各係長・管理栄養士・介護主任・ケアマネージャー・グループリーダーの12名で推進チームを立ち上げ、啓発ポスターを館内14カ所に掲示したと記録されています。介護職だけでなく、看護・栄養・事務まで巻き込むことがポイントです。
STEP2:現状把握とリスクアセスメント
職員に対する腰痛アンケートと、利用者一人ひとりの身体アセスメントを実施します。アセスメントでは次を確認します。
- 意思疎通(可能/一部困難/不可)
- ベッド上での体動(自立/一部介助/全介助)
- 座位保持(自立/一部介助/全介助)
- 立位保持(可能/不可)
- 移乗時の介助方法(現状)
- 拘縮・褥瘡・皮膚の脆弱性
このアセスメントに基づいて「この方には床走行リフト」「この方はスライディングボードで自立移乗」と用具を選定します。
STEP3:福祉用具の選定・導入
ここで初めて用具の購入に入ります。いきなり全館にリフトを入れると使いこなせず持ち腐れになりがちなので、モデルフロアから段階的に導入するのが鉄則です。メーカーのデモ機で試用し、施設の動線やベッド周りのスペースに合うか確認します。
補助金の活用も重要です。厚生労働省の介護ロボット導入支援事業、都道府県独自の介護福祉機器導入補助金、介護保険事業における各種加算など、財源を確保する手段があります。高知県ではモデル事業期間中に施設がリフトのデモ機を体験し、期間中に実際にリフトを4台購入した事例も報告されています。
STEP4:研修・マニュアル整備
用具があっても使い方を知らなければ意味がありません。研修は以下の3層で組み立てます。
- 全職員向け基礎研修:ノーリフトケアの理念、5つのキーワード、不良姿勢の概念
- 実技研修:各用具の操作、スリングシートの選定、体位変換の手順
- リーダー育成研修:日本ノーリフト協会のノーリフトケアコーディネーター(NLCCD)養成講座などを活用
マニュアル整備も並行して進めます。梼原ふじの家では、実際に使用する介護職員が中心となり「スカイリフト操作・手順マニュアル」「スライディングボードマニュアル」などを作成し、操作手順だけでなく注意事項やポイントを明示しました。これにより新人職員でも迷わず使えるようになります。
STEP5:日常ケアへの落とし込みとPDCA
研修が終わったら、ケアプラン・介護計画にノーリフトケアを明記します。PDCAの回し方は次のとおりです。
- Plan:個別アセスメントに基づくケア方法の計画
- Do:計画に沿った実施と、ベッド頭元への必要用具掲示
- Check:半期ごとの腰痛調査・リスク調査、利用者状態の再評価
- Act:評価結果に応じた計画修正、追加用具の導入
毎月1回のノーリフト委員会を開催し、各階の取り組み状況と課題を共有する運用が高知県の事例で定着しています。
STEP6:環境整備と文化の定着
最後の仕上げは物理環境と組織文化の整備です。高知県梼原ふじの家では以下の工夫が行われています。
- 食事介助・口腔ケア時に腰をひねらないよう回転する椅子を導入
- 洗濯物を屈まず畳めるよう昇降式テーブルを設置
- ベッド頭元に必要な福祉用具を掲示し、職員がすぐ判断できる仕組みに
文化の定着では「抱え上げているスタッフを見たら声をかけて良い」というルールを明文化するなど、心理的安全性のある指摘文化を育てることも欠かせません。一人の職員が頑張っても、組織の空気が「昔ながらの力任せ」のままでは定着しません。
研修制度と資格:ノーリフトケアコーディネーター
ノーリフトケアを施設として推進するうえで核になるのが人材育成です。個人レベルで学びたい場合も、チームリーダーを目指す場合も、体系的な研修制度が整っています。
日本ノーリフト協会の主要プログラム
日本ノーリフト協会は2009年の設立以来、全国で研修・セミナーを展開しています。協会公表の実績では、講演・外部セミナーは累計836回、参加者38,094名(2025年4月時点)にのぼります。主なプログラムは次のとおりです。
- ノーリフトケア基礎セミナー:1日完結。理念・5つのキーワード・用具の概論を学ぶ
- ノーリフトケアマネジメント研修:複数日程。組織導入・PDCA運用・腰痛予防対策指針の理解
- ノーリフトケアコーディネーター(NLCCD®)養成講座:ベーシックとアドバンスの2段階で、施設内の推進役を育成
- ノーリフト施設認証:取り組みが継続している施設を協会が認証する仕組み
ノーリフトケアコーディネーター(NLCCD®)とは
NLCCDは、施設内でノーリフトケアを推進する中核人材を指す協会登録商標の資格です。研修では次のような内容をカバーします。
- ベーシック研修:ノーリフトケアの基本理念、福祉用具の基本操作、安全な介助技術、腰痛予防
- アドバンス研修:高度な用具操作、リフトシステムの管理とメンテナンス、チームリーダーのマネジメント、施設全体の推進戦略
コーディネーターは「1人で悩み責任を背負うのではなく、自分にできることとできないことを見きわめ、人と人をつないでケアを提供できるチームを作る人」として位置づけられています(医学書院資料より)。
自治体・公的機関の研修事業
国・都道府県レベルの研修も多数あります。
- 厚生労働省第三次産業労働災害防止事業:中央労働災害防止協会などが運営。全国47都道府県で腰痛予防対策講習会を実施
- 大阪府介護生産性向上支援センター:ATCエイジレスセンター内に展示されている介護テクノロジー機器の見学・試用を提供
- 高知県ノーリフティング推進委員会:県の基本ケア普及員を各施設に派遣。腰痛予防体操リーフレットの配布など現場密着型
- 愛媛県ノーリフティングケア普及啓発モデル事業:愛媛県介護実技普及指導員が講師となり、モデル事業参加施設へ定期巡回
メーカー主催の研修と勉強会
福祉用具メーカー(パシフィックサプライ、ヤマシタ、パラマウントベッドなど)も製品研修を無料〜低価格で提供しています。施設導入時に限らず、個人でも参加できるオープン研修があるため、キャリアアップを考える介護職は積極的に活用できます。
個人レベルで学ぶ方法
施設がまだノーリフトケアを導入していなくても、個人として学び始める方法はあります。
- 日本ノーリフト協会のウェブサイト(nolift.jp)でセミナー情報をチェック
- オンライン受講可能な研修を選択(コロナ禍以降ハイブリッド型研修が増加)
- 書籍・DVD教材:協会から関連書籍やノーリフト宣言ポスターが販売されている
- YouTubeなどで公開されているメーカーの実技動画を活用
研修を活かすキャリアパス
ノーリフトケア関連の知識・資格を持つことは、転職市場でも大きな強みになります。第14次労働災害防止計画で国が導入推進を明言している以上、導入・運用を主導できる人材は今後ますます需要が高まると予想されます。
具体的なキャリアパスとしては、次のような道筋があります。
- 現場介護職として実技を習得 → 施設内研修の講師役
- NLCCDコーディネーター資格取得 → 推進リーダー・主任
- マネジメント研修修了 → 介護主任・施設長候補
- 法人内コンサルタント → 複数拠点の導入支援
- 独立して講師・コンサルタント活動
介護報酬改定で処遇改善加算の要件にも関連項目が入っており、加算取得に貢献できる人材として評価されやすいのもポイントです。
導入を阻む壁と克服のポイント
国が推進しているにもかかわらず、介護用リフトの導入率は全施設の4.9%にとどまります。なぜ広がらないのか。現場で実際に直面する壁と、その突破方法を整理します。
壁1:初期費用の問題
床走行リフトは1台で数十万円、天井走行リフトは工事費込みで数百万円に達します。スリングシート、スライディングシート、スライディングボードなど付属品も必要で、規模の小さな施設ほど「買いたくても買えない」という声が出ます。
突破法:補助金・加算の活用が最も有効です。厚生労働省の介護ロボット導入支援事業、都道府県単位の介護福祉機器等導入支援事業費補助金、地域医療介護総合確保基金などが使えます。また2021年介護報酬改定で処遇改善加算の職場環境等要件に「腰痛を含む心身の健康管理」が追加されたため、導入が加算獲得に直結します。離職コスト(採用・育成)との比較でも、長期的には費用対効果が高いと考えられます。
壁2:職員の抵抗感・文化的障壁
「抱きかかえの方が心がこもっている」「機械で持ち上げるのは冷たい」「技術があれば腰痛は起きない」「自己犠牲こそ美徳」——こうした意識は日本の介護文化に根深くあります。
突破法:意識改革は3つのアプローチが有効です。
- 体験させる:職員自身がリフトで吊り上げられる側を体験する。広い面積で支えられる心地よさを知ると「冷たい」イメージが覆る
- データで語る:腰痛有訴率46.4%、労災コスト54〜74%減などの数字を共有
- 管理者が先頭に立つ:現場任せにせず、管理者が「抱え上げをさせない」を宣言する
壁3:使い方がわからない・時間がかかる
「リフトを使うと準備に時間がかかる」「忙しいときは結局人力で」となりがちです。
突破法:使い始めは時間がかかるのが普通ですが、慣れてくると2〜3人介助が1人で完結するため、トータルでは時短になります。日本ノーリフト協会の報告でも「慣れることで時間的なゆとりが生まれる」とされています。初期は1日1場面だけ使うなど小さく始め、徐々に広げる段階的導入が現実的です。
壁4:居室・動線のスペース不足
多床室の古い施設では、ベッド間が狭くて床走行リフトが入らないこともあります。
突破法:天井走行リフトや据置式レール型リフトなど床面を使わない用具を検討します。また、ベッド周りの整理整頓・動線確保そのものを業務改善テーマに設定すると、リフト以外のメリットも得られます。
壁5:推進役の不在
「やりたいけど誰が旗を振るのか」という問題です。
突破法:日本ノーリフト協会のNLCCD養成講座、都道府県の普及員制度などの外部リソースを活用。職員1〜2名を研修に送り出し、戻ってきたら委員会の核になってもらう流れがセオリーです。
壁6:家族の理解
在宅介護では「家族が見ているのにリフトなんて冷たい」と家族側から抵抗されることもあります。
突破法:TOTOの記事で下元氏が語るように「介助する側の心身を守り、介助される側のQOLを高められる」ことを丁寧に説明すること。実際にスタンディングリフトを体験してもらうのが最も効果的です。
求職者視点でのチェックポイント
転職活動中にノーリフトケアへの取り組みを見極めるには、以下を確認すると良いでしょう。
- 施設見学時にリフトやスライディングシートが実際に使われているか(置いてあるだけではNG)
- 施設長・介護主任がノーリフトケアの用語を自然に使えるか
- 腰痛対策・研修制度について具体的な数値・頻度で答えられるか
- ノーリフト委員会など組織的な推進体制があるか
- 処遇改善加算の職場環境等要件でどの項目を選択しているか
これらは面接で聞いても失礼にあたらず、むしろ「意欲のある応募者」として好印象を与える質問です。自分の身体を10年20年と守って働くために、遠慮せず確認しましょう。
よくある質問
よくある質問
Q1. ノーリフトケアとノーリフティングケアは何が違うのですか?
どちらも同じものを指しますが、由来と使い分けに違いがあります。「ノーリフティング(No Lifting)」はオーストラリア看護連盟が1998年に提唱した基本概念で、持ち上げる動作を行わないことそのものを指します。「ノーリフトケア/ノーリフティングケア」は2009年設立の日本ノーリフト協会が体系化した概念で、腰痛予防やケアの質向上を目的とした包括的な教育プログラムです。日本ノーリフト協会は発音しやすさから「ノーリフト」という言葉を使っていますが、内容は同じと理解して問題ありません。
Q2. 小規模施設や訪問介護でもノーリフトケアは実践できますか?
可能です。訪問介護のように1人で介助する場面こそ、スライディングシートやスライディングボードといった小型で持ち運びやすい用具が真価を発揮します。居宅介護支援事業所のケアマネジャーと連携し、福祉用具貸与で利用者宅に必要な用具を導入する動きも広がっています。日本ノーリフト協会でも家族介護者向けのセミナーを実施しており、厚労省の「新しい健康社会の実現」でもビジネスケアラー(仕事と介護を両立する人)の支援策としてノーリフトケアの理念の家庭導入が挙げられています。
Q3. ノーリフトケアを導入すると利用者が自分で動かなくなりませんか?
適切にアセスメントすれば、その逆に自立支援につながることが多くの事例で示されています。日本ノーリフト協会の資料では「スタンディングリフトは膝を前方で固定し、背中を伸ばすため、良いリハビリ効果がある」「毎日使用することでリフトなしでも立てるようになる事例がある」とされています。重要なのは「立位保持できる人には杖や手すり、座位保持できる人にはスタンディングマシン、全介助が必要な人にはリフト」というように残存機能に応じて用具を選ぶことです。一律にリフトを使えば自立を阻害する場合もあるので、アセスメントが命です。
Q4. ボディメカニクスを学ぶ意味はもうないのですか?
意味はありますが、位置づけが変わります。ボディメカニクスは介助者自身の姿勢を整える基本として引き続き有効ですが、それだけで人力移乗の腰痛を防げるとは考えないのが現代の理解です。日本ノーリフト協会も「テクニカルなことは個人の解釈や習得度で効果がばらつき、個人の努力に期待する時点で限界がある」と明言しています。ボディメカニクスを土台にしつつ、福祉用具の活用と組織マネジメントを重ねることで初めて腰痛は予防できます。
Q5. 転職先選びでノーリフトケア導入状況をどう確認すればよいですか?
求人票やホームページに「ノーリフトケア実施」「腰痛予防対策」「介護ロボット導入」などの記載があるかチェックし、面接・施設見学では次を確認しましょう。①実際にリフトやスライディングシートが使われているか、②推進委員会や研修制度があるか、③処遇改善加算の職場環境等要件でどの項目を選んでいるか、④職員の腰痛有訴率や離職率の推移、⑤ノーリフトケアコーディネーターなど有資格者が在籍しているか。高知県・神戸市・大阪府・愛媛県など自治体主導で取り組んでいるエリアでは、自治体サイトに取り組み施設一覧が掲載されていることもあります。
まとめ:ノーリフトケアは「長く働ける現場」をつくる労働安全マネジメント
ノーリフトケアは、1998年にオーストラリア看護連盟が提唱した「持ち上げない介護」の理念を、日本ノーリフト協会が2009年に教育プログラムとして体系化し、高知県のノーリフティング宣言(2016年)、厚労省の腰痛予防対策指針改訂(2013年)、第14次労働災害防止計画(2023〜2027年度)を経て、国が公式に普及を推進する政策項目へと成長しました。
本記事の要点を振り返ります。
- 定義:人力だけで人を持ち上げる介助を原則行わず、アセスメントに基づいて福祉用具を活用する労働安全マネジメント
- 5つのキーワード:押さない・引かない・持ち上げない・ねじらない・運ばない
- 主な福祉用具:床走行リフト・天井走行リフト・スタンディングマシン・スライディングシート・スライディングボード
- エビデンス:労災コスト54〜74%減(豪州)、2〜3人介助が1人で可能、離職率改善、利用者の皮膚剥離・拘縮リスク低減
- 導入6ステップ:管理者の宣言→推進チーム→アセスメント→用具選定→研修→PDCA→環境整備
- 研修制度:日本ノーリフト協会のNLCCD養成講座、都道府県の普及事業、メーカー研修
介護職として自分の身体を守りながら働き続けるためには、ノーリフトケアを導入している施設を選ぶことが極めて重要です。同じ「介護職員」という仕事でも、人力で抱え上げ続ける施設と、リフト・スライディングシートを使いこなす施設では、10年後の身体の健康状態がまったく違ってきます。
現時点で介護用リフトの導入率は全施設の4.9%にとどまりますが、裏を返せば「導入している施設を選べば、それだけで優位性のある職場」ということ。国の政策支援も追い風になっているため、この流れを味方につけて、長く働けるキャリアを築いてください。
参考・出典:日本ノーリフト協会(nolift.jp)/厚生労働省「職場における腰痛予防対策指針」「令和4年業務上疾病発生状況等調査」「第14次労働災害防止計画」/高知県「高知家ノーリフティング手引書」/愛媛県「ノーリフティングケアとは〜考え方と取り組み方〜」/公益財団法人テクノエイド協会「福祉用具シリーズVOL.26」/医学書院「WOC Nursing」(日本におけるノーリフトの歴史)/TOTOユニバーサルデザイン記事(下元佳子氏インタビュー)/パシフィックサプライ「持ちあげない看護・抱えあげない介護」
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