この記事のポイント
オランダ東部の町デーフェンターにある高齢者ホーム「Humanitas(ヒューマニタス)」では、大学生が家賃ゼロで部屋に住み込み、その代わりに月30時間以上を入居者と一緒に過ごします。2012年に始まったこの「世代間同居」は、約160人の高齢者の孤独をやわらげ、深刻な人材不足や空き部屋という課題にも一つの答えを示しました。日本でも高齢者の社会的孤立と介護人材の不足は待ったなしの問題です。お金をかけずに「人とのつながり」を取り戻したこの取り組みは、地域共生をめざす私たちに大きなヒントをくれます。
目次
もし大学生のあなたが、家賃を払う代わりに「お年寄りのよき隣人になること」を求められたら、どう感じるでしょうか。オランダのある高齢者ホームでは、まさにそんな暮らしが現実になっています。
20歳前後の学生が、自分より70歳以上も年上の入居者と廊下を挟んで暮らす。一緒にスポーツ中継を見て、誕生日を祝い、パソコンの使い方を教え、体調を崩した日にはそばにいる。staff(職員)だけでは手の届かない「ただ一緒にいる時間」を、若者たちが運んできます。
この記事では、オランダ・デーフェンターの高齢者ホーム「Humanitas」で生まれた世代間同居の物語を、複数の海外報道をもとにたどります。そして、お金ではなく「つながり」で孤独に立ち向かったこの試みが、超高齢社会の日本に何を問いかけるのかを考えます。
家賃ゼロで高齢者ホームに住む|デーフェンターのHumanitas
家賃ゼロ、条件は「月30時間、よき隣人でいること」
舞台は、アムステルダムから東へ1時間ほど、川沿いの町デーフェンターにある高齢者ホーム「Residential and Care Center Humanitas」です。ここでは6人の大学生が、空いていた部屋に家賃ゼロで暮らしています。条件はただ一つ、月に30時間以上を入居者と過ごし、「よき隣人(good neighbour)」としてふるまうこと。学生たちは近隣のSaxion大学やWindesheim大学に通い、授業やアルバイトの合間に、約160人の高齢者と日常を分かち合います。
学生に課されたルールはシンプルで、「入居者の迷惑にならないこと」。それ以外は自由に出入りでき、堅苦しい当番表もありません。掃除や入浴介助といった専門的なケアは職員が担い、学生はあくまで「一緒に暮らす若い隣人」という立場です。
始まりは、ある学生の「住まいの悩み」だった
このユニークな仕組みは、2012年に始まりました。きっかけは、騒がしく環境の悪い学生寮に困っていたOnno Selbach(オンノ・セルバッハ)さんという学生が、ホームに相談を持ちかけたことでした。ホームの代表ヘア・サイプケス(Gea Sijpkes)さんがこれに応じ、二人で話し合いながら「学生が住み込み、高齢者と時間を過ごす」という交換プログラムを設計したのです。
背景には、オランダ特有の事情もありました。政府の予算削減で補助つきの入居枠が絞られ、ホームには埋まらない空き部屋が出ていた一方、学生は住まい探しに苦労していました。2015年時点で、オランダの学生の家賃は平均で月およそ366ユーロ。アムステルダムでは約9,000室もの学生用住居が不足していたとされます。空き部屋と住宅難、この二つを結びつけたのが世代間同居でした。
若者が運ぶ「外の世界」|パソコン教室から落書きアートまで
「彼女は私を見るなり、ぱっと表情が変わった」
このホームで暮らした学生の一人、ユリエン・メンティンク(Jurriën Mentink)さんは、19歳でここに移り住みました。隣人は、彼より72歳も年上の高齢者です。彼は85歳のアントン・グロート・クールカンプさんに、毎週パソコンの使い方を教えました。やがてアントンさんは、こう誇らしげに語ったといいます。「今ではメールも送れるし、インターネットで動画も見られる。Facebookだってできるよ」。
別の学生ヨルディさんは、入居者を庭に連れ出し、段ボールにスプレーで色を吹きつける「グラフィティ(落書きアート)」のワークショップを開きました。スポーツ観戦、誕生日のお祝い、買い物の付き添い、夕食づくり。学生たちは、職員が時間に追われてなかなかできない「ただ寄り添う」役割を、自然体で担っていきました。
ある晩、メンティンクさんが体調を崩した高齢の女性のもとを訪ねると、彼女の様子は一変したといいます。「僕の顔を見たとたん、彼女は180度変わった。すっと安心して、うれしそうな顔になったんだ」。二人はその夜、映画『ダーティ・ダンシング』を一緒に見て過ごしました。市場で買った魚を届ける、冗談を言い合う、あいさつを交わす。そんな日々の小さな喜びこそが、若者が高齢者に贈っていたものでした。
若者が運ぶのは「外の世界」
代表のサイプケスさんは、その効果をこう表現します。「学生たちは外の世界を中に運んでくれる。そこには、たくさんのあたたかさがあるのです」。授業やコンサート、パーティーから帰った学生が、その出来事を高齢の隣人に話して聞かせる。会話は「どこが痛い、ここが痛い」から、「学生の恋人は今夜泊まっていくのか」といった、生き生きとした日常へと広がっていきました。
彼女がこの仕組みを考えた動機は明快でした。「私は、すべての高齢者が住みたいと思う、いちばんあたたかく心地よい家にしたい。でも、それを職員だけでやろうとすると、とてもお金がかかる。学生となら、孤独に対する『社会的な投資の見返り』が生まれる。それがこの発想です」。孤独や社会的孤立は、高齢者の心身の衰えや死亡リスクの上昇と結びつくことが指摘されています。お金をかけずに、その孤独に若い隣人の存在で立ち向かう。それがHumanitasの挑戦でした。
この取り組みは評判を呼び、オランダ国内の他のホームにも広がりました。さらにフランスのリヨンや米国オハイオ州クリーブランドなど、海外でも似た世代間プログラムが各地で生まれています(スペインでは学生が高齢者の家に下宿する仕組みが1990年代から続いています)。Humanitasの小さな実験は、世界の高齢者ケアに静かな波紋を広げたのです。
代表のサイプケスさんは、住み込む学生を一人ひとり面接し、その人柄や「なぜここで暮らしたいのか」という動機を確かめていました。安さだけが目当ての同居ではなく、世代を超えて心を通わせられる相手を選ぶこと。それが、この小さな共同体をあたたかく保つ秘訣でもありました。
日本への示唆|孤独・人材不足・地域共生に効く3つの視点
では、オランダの小さな町の物語は、私たち日本の介護にどんな意味を持つのでしょうか。Humanitasの試みには、日本がいま抱える課題への示唆が三つ詰まっています。
1. 「孤独」という、見えにくい介護課題への答え
日本でも、高齢者の社会的孤立や孤独死は深刻な問題です。社会的なつながりの乏しさは、生活の質を下げるだけでなく、心身の健康や寿命にも影響することが研究で示されています(くわしくは社会的孤立・孤独は寿命を縮めるか|死亡リスクを示すメタ解析エビデンスを介護現場目線で読み解くを参照)。Humanitasが教えてくれるのは、孤独への処方箋は必ずしも高価な設備や人員ではなく、「日常を分かち合う誰かの存在」だということです。専門的なケアは職員が担い、若者は「ただ一緒にいる」。この役割分担は、人手が限られる日本の現場でも考えるヒントになります。
2. 人材不足の時代に、「ケアの担い手」を広げる発想
日本の介護現場は慢性的な人手不足にあります。すべてを有資格の職員でまかなおうとすれば、コストも負担も際限なく膨らみます。Humanitasは、専門職でなくてもできる「寄り添い」や「外の世界とのつながり」を、学生という別の担い手に開きました。日本でも、介護助手やボランティア、地域住民に専門外の業務を切り出す動きが進んでいます。資格を持つ職員が専門性の高いケアに集中できるよう、「誰が何を担うか」を問い直すうえで、世代間同居は一つのモデルになります。
3. 「施設」を地域に開く、多世代共生のかたち
かつて高齢者施設は、社会から切り離された「島」になりがちでした。Humanitasは、空き部屋に若者を迎え入れることで、施設の壁を地域に向かって開きました。日本がめざす「地域共生社会」も、世代や立場を超えて支え合う地域づくりを掲げています。認知症の人が町でふつうに暮らすオランダの別の試み(認知症の人が「町」で暮らすオランダ・ホグウェイ|「テーマパーク」ではない実像を日本はどう活かすか)とも通じる、「閉じ込めるケアから、開かれた暮らしへ」という発想の転換がここにあります。
もちろん、この仕組みをそのまま日本に持ち込めるわけではありません。空き部屋の有無、防火や契約のルール、学生と高齢者の相性の見極めなど、丁寧な設計が欠かせません。Humanitasでも、代表が一人ひとりの学生の人柄や動機を面接で確かめていました。それでも、「お金ではなく、つながりで孤独に向き合う」という核心は、文化や制度を超えて学べるものです。
参考資料
- [1]Dutch nursing home offers rent-free housing to students- PBS NewsHour(米公共放送・Carey Reed)
代表Gea Sijpkesへの取材。6人の学生・月30時間・約160人の高齢者という仕組みと、孤独・孤立が死亡リスクと結びつくという指摘を報じた一次報道。
- [2]To Save on Rent, Some Dutch College Students Are Living in a Nursing Home- The Atlantic(2015年10月)
学生Jurriën Mentinkらの暮らしと、2012年の開始・オランダ国内やリヨンへの波及を伝えた特集記事。学生の家賃相場や住宅難の背景も。
- [3]Dutch nursing home lets students live free- ABC(オーストラリア公共放送)RN Drive・2015年3月
Sijpkesの『孤独への社会的投資の見返り』という言葉や、学生・高齢者双方の声を伝えた報道。
- [4]Dutch nursing home offers rent-free housing to students- University of Queensland, Ageing Mind Initiative
PBS報道をもとにした学術機関の紹介。Saxion・Windesheimの学生6人と約160人の高齢者という規模、プログラムの起源を整理。
まとめ
オランダ・デーフェンターのHumanitasで起きたのは、特別な技術や巨額の予算による奇跡ではありません。空いた部屋に若者を迎え、月30時間「よき隣人」でいてもらう。ただそれだけの工夫が、高齢者の表情を変え、施設を地域に開き、人材不足という難題にも一筋の光を差しました。お金ではなく「つながり」を投資する。この発想の転換が、世界中のケアに静かな波紋を広げています。
日本でも、孤独や人手不足は誰かひとりの努力で解決できる問題ではありません。だからこそ問いたいのです。あなたの地域や職場で、「専門職でなくてもできる寄り添い」を、もっと多くの人に開く余地はないでしょうか。Humanitasの学生たちが運んだ「外の世界のあたたかさ」を、私たちはどんなかたちで日本の暮らしに根づかせられるでしょうか。
執筆者
介護のハタラクナカマ編集部
編集部
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