
認知症カフェはこうして生まれた|オランダの心理学者ミーセン博士が1997年に開いた「アルツハイマー・カフェ」の物語
日本の認知症カフェ・オレンジカフェの原点は、1997年オランダで心理学者ベレ・ミーセン博士が開いた「アルツハイマー・カフェ」。本人を隠す時代から、ともに語る場へ。その誕生秘話と日本への示唆を読み物として紹介します。
この記事のポイント
日本各地にある「認知症カフェ/オレンジカフェ」の原点は、1997年にオランダで生まれた「アルツハイマー・カフェ」にあります。考案したのは臨床老年心理士のベレ・ミーセン博士。認知症の心理検査を通じて「本人にできないことを突きつけてしまう」つらさに気づいた博士は、本人・家族・専門職が対等に、気軽に語り合える場として最初のカフェを開きました。認知症を「隠す」時代から「ともに語る」場へ。その思想は日本の地域共生ケアにも受け継がれています。
目次
あなたの街にも、きっと「認知症カフェ」や「オレンジカフェ」と名のついた集まりがあるはずです。喫茶店の一角や公民館で、認知症の本人と家族、近所の人、専門職がお茶を囲んで語り合う。今では日本全国に約7,900か所(2021年、厚生労働省の実績調査)まで広がった、すっかりおなじみの居場所です。
けれど、その原点が四半世紀前のオランダにあったことは、あまり知られていません。1997年9月、ライデン大学の一室で、20人ほどの人が集まった小さな会。それが世界で最初の「アルツハイマー・カフェ(Alzheimer Café)」でした。仕掛けたのは、一人の心理学者です。
彼が向き合っていたのは、認知症の人に「できないこと」を突きつけてしまう仕事の矛盾でした。この記事では、その心理学者ベレ・ミーセン博士がなぜ「カフェ」という場を思いついたのか、その誕生の物語をたどります。そして最後に、なぜこの海外の小さな出来事が、いまを生きる日本の私たちに深く関わっているのかを考えます。
心理検査室で心理学者が気づいた「つらさ」
「できないこと」を測る仕事への違和感
ベレ・ミーセン(Bère M. L. Miesen)博士は、オランダの臨床老年心理士です。老人ホームで働き、認知症の程度を測る心理検査を担当していました。検査は、診断や支援計画のために欠かせない仕事です。けれど博士は、その過程で本人が自分の「できなくなったこと」を否応なく自覚させられ、混乱し、ストレスを抱えてしまう場面に何度も立ち会いました。日本の認知症介護研究・研修センター(DCnet)の解説も、この経緯を博士の出発点として紹介しています。
できないことを測れば測るほど、本人は傷つく。その苦しみは家族との関係にも影を落とし、いさかいの種にもなる。ミーセン博士は、検査という枠組みだけでは決してすくい取れない領域があると痛感していきました。必要なのは、本人と家族が自分たちの苦しみを語り、対処の仕方を学び、周囲もまた理解を寄せる。そんな場所ではないか、と。
認知症は「語ってはいけない話題」だった
当時、認知症について語ることは、家族のあいだですら一種のタブーでした。パートナー同士でも、その病気の話題を避けてしまう。ミーセン博士は、認知症を「語れるもの(discussable)」にすることこそが、病を受け入れる第一歩だと考えました。英国でカフェを広めた同僚のジェンマ・ジョーンズ博士は、専門誌の記事で博士の問題意識をこう書き残しています。医療や福祉を学ぶ学生が、認知症を「生きる」ことの感情面(恐れ、怒り、無力感、長く続く喪失の悲しみ、罪悪感)をほとんど教わっていない。だから支援も、その肝心な部分が抜け落ちてしまう、と。
そこでミーセン博士がたどり着いた答えが、あえて医療機関らしくない、くつろいだ場をつくることでした。敷居が低く、リラックスして語れる雰囲気を最もよく表す言葉。それが「カフェ」だったのです。
1997年9月、最初のカフェに人があふれた
ライデン大学の一室から始まった
1997年9月15日、最初のアルツハイマー・カフェが扉を開きました。舞台は、オランダ・ワルモント(Warmond)の老年医学の専門研究施設「マリエンハーフェン(Mariënhaven)」に籍を置くミーセン博士が、数か月の準備を重ねて実現させたものでした。最初の会場は、ライデン大学の講義室。オランダ・アルツハイマー協会(Alzheimer Nederland)の協力を得ての開催でした。
ジェンマ・ジョーンズ博士が英訳・所収したミーセン博士のマニュアルには、その後の広がりが具体的な数字で記録されています。第1回に集まったのは約20人。ところが1か月後には35人、さらに翌月には54人、そして3か月後には講義室に80人が詰めかけました。求められていたものが、確かにそこにあったのです。
なぜ「アルツハイマー」と名づけたのか
参加するのは、認知症の本人だけではありません。家族、介護の専門職、ボランティア。誰もが対等に、月に一度、くつろいだ空気のなかで顔を合わせる。新しい知り合いをつくり、経験を分かち合い、抱えていた「聞きたくても聞けなかった問い」に答えをもらい、認知症とともに生きることの感情面を学ぶ。それがカフェの目的でした。
興味深いのは、その名前です。参加者にはアルツハイマー型以外の認知症の人も含まれるのに、博士はあえて「アルツハイマー・カフェ」と名づけました。当時、各国の支援団体の多くが「アルツハイマー協会」と呼ばれており、その名になじみがあったからだと、Alzheimer Café UKは説明しています。ミーセン博士自身の言葉は、この場の思想を端的に伝えています。「日の当たらない場所から出ておいで。あなたは社会の一員で、私たちはあなたにその役割を担ってほしいのです。認知症は、一部の人にとって人生の一部です。まだ手立てのないもの。誰にでも起こりうる。だから、隠れないで」。本人を「隠す」時代から、「ともに語る」場へ。その転換が、ここにありました。
関連する主な介護用語
なぜこの物語が、日本の私たちに関係あるのか
あなたの街のオレンジカフェの「源流」
ここまで読んで、既視感を覚えた方も多いはずです。本人・家族・地域住民・専門職が、気軽に集まってお茶を飲みながら語り合う。それはまさに、日本の「認知症カフェ/オレンジカフェ」そのものだからです。実際、日本の認知症カフェは、このオランダのアルツハイマー・カフェを源流として世界に広がったものの一つだと、厚生労働省の事例集『よくわかる!地域が広がる認知症カフェ』も明記しています。認知症カフェとは何かという基本を確かめると、その設計思想がミーセン博士の発想と地続きであることがよく分かります。
日本では、2012年の「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」で初めて認知症カフェが明記され、2015年の「新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)」で全市町村への設置を目指す方針が示されました。そこから急速に広がり、2021年には約7,904か所に達しています。世界を見ても、これほど短期間に増えた例は珍しいと指摘されています。制度が後押しした面は大きいのですが、その根っこには、日本にもともとあった家族の会や本人ミーティングといった草の根の土壌と、ミーセン博士が示した「対等に語り合う場」というコンセプトの出会いがありました。
「隠す」から「ともに語る」への転換が、日本の課題そのもの
ミーセン博士の出発点だった「認知症を語ることのタブー」は、日本でも決して過去の話ではありません。診断を受けたときの本人の気持ちとして「ショックだった」という声が多いことは、全国的な実態調査でも報告されています。家族もまた「漠然とした不安」を抱えがちです。だからこそ、本人と家族が病を隠さず、周囲の理解を得ながら社会参加していける場の価値は、四半世紀前のオランダと同じく、いまの日本でも変わらず大きいのです。
もう一つ、ミーセン博士の思想は日本のケアの潮流とも響き合います。認知症の人を「できないことの集まり」として見るのではなく、一人の人として尊重する。この考え方は、日本の現場に根づいたパーソンセンタードケアの実践と同じ方向を向いています。検査で「できないこと」を突きつける矛盾に博士が気づいたように、私たちも「支援する・される」という固定した役割をいったん脇に置ける場所を、地域のなかに必要としているのです。
これからの「本人発信」への示唆
近年の日本では、認知症の本人自身が声をあげる「本人ミーティング」や、当事者団体の活動が広がっています。認知症を「予防すべきもの」という否定的なイメージから、「なってからも自分らしく暮らせる」という共生のイメージへ。その転換の途上に、いまの日本はいます。「日の当たらない場所から出ておいで」というミーセン博士の呼びかけは、その先を照らす言葉として、いまも古びていません。海外の先進事例に学ぶという意味では、認知症の人が「町」で暮らすオランダ・ホグウェイの認知症村のような取り組みも、同じオランダから生まれた発想の延長線上にあります。
参考文献・出典
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まとめ
認知症カフェの原点は、1997年のオランダにありました。心理検査で「できないこと」を突きつける矛盾に気づいた一人の心理学者、ベレ・ミーセン博士。彼が「隠す」から「ともに語る」への転換を願って開いた小さなカフェは、20人から始まり、3か月で80人に膨らみ、やがて英国へ、そして日本へと広がっていきました。いま日本各地にある約7,900のオレンジカフェは、その思想を受け継ぐ場でもあります。
大切なのは、立派な建物でも高度な設備でもなく、「対等に語り合える空気」だとミーセン博士は示しました。あなたの街のカフェは、本人や家族が肩の力を抜いて過ごせる場所になっているでしょうか。もし身近に認知症とともに生きる人がいるなら、次の休みに一度、近くのカフェをのぞいてみるところから始めてみてはいかがでしょうか。
執筆者
介護のハタラクナカマ編集部
編集部
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