
認知症の父が入院5週間で別人になった|英「ジョンズ・キャンペーン」が病院に求めた家族の付き添い
英国の作家ニッキ・ジェラードは、認知症の父ジョンが入院5週間の面会制限で急速に衰え亡くなった経験から2014年「ジョンズ・キャンペーン」を始めた。家族介護者が病院でそばに居られる権利を求めた運動の経緯と、日本の入院・せん妄予防への示唆を伝える。
この記事のポイント
「ジョンズ・キャンペーン(John's Campaign)」は、認知症の人が入院・入所しても家族介護者がそばに居続けられる権利を求める英国の運動です。認知症だった父ジョン・ジェラードが入院5週間の面会制限で急速に衰えて亡くなった経験から、作家ニッキ・ジェラードらが2014年に立ち上げました。1,500を超える施設が賛同し、英国の病院の方針を変えています。家族の付き添いを「お見舞い」ではなく「治療の一部」とみなすこの発想は、入院時のせん妄予防や意思決定支援に悩む日本の介護・医療現場にも通じます。
目次
その人は、入院する前は「認知症とともに、それなりに穏やかに暮らせていた」。庭を歩き、家族と会話し、ユーモアも残っていた。ところが5週間後、退院してきたのは別人のようだった。歩けず、自分でトイレにも行けず、言葉も通じない。24時間の介護が必要になり、その数か月後に亡くなった。
この人は、英国の医師ジョン・ジェラードさん。彼の身に起きたことが、英国の病院文化を変える一つの運動の出発点になった。それが「ジョンズ・キャンペーン(John's Campaign)」である。求めたのは特別な治療でも新しい薬でもない。ただ「認知症の本人が入院しても、家族や介護者がそばに居続けられること」、それだけだった。
この記事では、一人の家族の喪失から始まったこの運動の経緯を、信頼できる出典をもとにたどる。そして最後に、入院時の付き添い・身元保証・せん妄予防・意思決定支援といった、日本の介護と医療の現場が抱える課題に、この英国の物語が何を投げかけるのかを考えたい。
入院5週間で「別人」になった父
「よく生きていた」人が、面会制限のなかで崩れていった
ジョン・ジェラードさんは、医師でもあり実業家でもあった人物だ。70代半ばでアルツハイマー病と診断されたが、進行はゆるやかで、病気や動揺が重なるときに少し速まる程度。家族の支えのなかで、約10年にわたって「認知症とともによく生きて(living well)」いた。
転機は2014年2月だった。脚にできた潰瘍が抗生物質に反応せず、ジョンさんは入院することになった。当初は短期で済むはずだったが、入院は5週間に及んだ。問題は、その間の面会が厳しく制限されたことにある。通常の「面会時間」のルールに加え、病院でノロウイルスの集団感染が起き、一時は面会そのものが認められなかった。
家族が日々与えていた個別の声かけや、なじみの顔がそばにいる安心。それらが断たれたとき、ジョンさんの状態は急速に悪化した。娘で作家のニッキ・ジェラードさんは、退院した父の変わり果てた姿を「骨と皮のようにやせ、失禁し、動けず、言葉も通じなくなっていた」と表現している。入院前は自立した暮らしに近かった人が、退院後は24時間の介護を必要とする状態になり、その年の11月に亡くなった。
家族は、なじみの人との接触が断たれたこと、そして家族なら当然していたはずの個別のケアが失われたことが、この急激な衰えに大きく影響したと考えている。もちろん潰瘍の治療そのものは必要だった。問題は治療ではなく、治療のあいだ家族を遠ざけた「面会制限」という仕組みのほうにあった、という見方である。
一本の新聞記事から始まった運動
「うちでも同じことが起きた」という声が殺到した
父の死の直後、ニッキ・ジェラードさんは英紙オブザーバーに、この経験をつづった記事を寄せた。すると、読者から「自分たちにもまったく同じことが起きた」という反応が押し寄せた。入院中に家族と引き離され、なかには人生の最後の場面ですら立ち会えなかった、という声まであった。家族や介護者の関わりが、いかに軽く扱われてきたか。それがはっきりと見えた瞬間だった。
この反響を受け、ニッキ・ジェラードさんは友人の作家ジュリア・ジョーンズさんとともに、2014年11月30日に「ジョンズ・キャンペーン」を立ち上げた。ジョーンズさんの母ジューンさんもまた、長年にわたり認知症とともに暮らした人だった。掲げた主張は、驚くほどシンプルだ。「認知症の人が入院したとき、家族介護者には、病気の子どもに親が付き添うのと同じ権利があるべきだ」。
この発想には下敷きがある。1960年代の英国では、入院した子どもに親が付き添う権利を求める運動があり、やがてそれが当たり前になった。ジョンズ・キャンペーンは、同じことを認知症の高齢者にも、と問いかけた。求めたのは「家族を病棟に入れてもよい」という許可ではない。「家族を歓迎する」という姿勢の転換だった。家族は単なる見舞客ではなく、本人の歴史や好み、いつもと違うサインを誰よりも知る存在であり、本人の声なき声を代弁できる。だから治療チームの一員として迎え入れてほしい、という訴えである。
運動は静かに、しかし着実に広がった。2016年にはNHS(英国の国民保健サービス)がこの考え方を支持すると表明し、各医療機関に対し、認知症の人を家族や介護者が十分に支えられるよう配慮することを促した。賛同を表明した施設は1,500を超える。ジョンズ・キャンペーンは「お見舞いの時間を延ばす制度」ではなく、ケアに対する一つの態度の表明として根づいていった。なお、これは家族に付き添いを義務づけるものではない。家族には付き添う「権利」はあるが「義務」はない、という線引きが繰り返し強調されている。介護を担う家族自身も、休息を必要とするからだ。
コロナ禍で問われ直した「会う権利」
面会禁止が再び家族を引き離したとき
2020年の新型コロナウイルスの流行は、この運動が向き合ってきた問題を、もう一度、そして大規模に突きつけた。感染対策の名のもとに、多くのケアホーム(高齢者介護施設)で家族の面会が長期間止まった。英国のケアホーム入居者のうち約7割は認知症の人だとされる。彼らにとって、家族との接触が断たれることは、ジョン・ジェラードさんの身に起きたことの再来を意味した。
ジョンズ・キャンペーンは、感染対策の重要性そのものを否定したわけではない。問題視したのは、政府のガイダンスが、地域の事情を問わず一律の面会禁止を事実上後押しし、その結果として認知症の入居者の急速な悪化や、孤独のなかでの死を招いている、という点だった。2020年10月、同団体は法律事務所を通じて、ケアホーム訪問に関する政府ガイダンスの司法審査(judicial review)を求める手続きに踏み切った。家族を、感染リスクをもたらすだけの外来者ではなく、本人の生活に不可欠な「エッセンシャル・ケアギバー(必要不可欠な介護者)」として位置づけるべきだ、という主張である。
この時期、家族を「必要不可欠な介護者」として扱うべきだという声は、認知症関連の複数の団体からも上がった。家族は、シフトで入れ替わる職員とは違い、本人のニーズを一貫して理解している存在だからだ。コロナ禍は、平時には見えにくかった「家族の付き添いは贅沢ではなく、本人の命と尊厳に関わる」という主張を、多くの人に実感させることになった。
日本の入院・介護現場に、この物語が問いかけること
「面会」ではなく「ケアの一部」として家族を見るという発想
ジョン・ジェラードさんに起きたことは、英国だけの話ではない。日本でも、認知症の高齢者が入院をきっかけに急速に状態を崩す場面は珍しくない。慣れない環境、知らない人、点滴や検査の連続。そこに家族の付き添いという「いつもの安心」が欠けると、本人は混乱し、夜間に眠れず大声を出したり、点滴を抜いてしまったりする。これは医療現場でしばしばせん妄と呼ばれる、急性の混乱状態に重なる。せん妄は、なじみの人がそばにいることや、見当をつけやすい環境を整えることで、ある程度予防・緩和できると考えられている。つまり家族の付き添いは、情緒的な慰めにとどまらず、医学的にも意味を持ちうる。家族が普段の様子との違いにいち早く気づける、という点も大きい。親のせん妄のサインをどう見分けるかは、親が急に混乱しつじつまが合わないとき、せん妄を家族が見分けるサインと対応の記事でも詳しく触れている。
日本ならではの論点:付き添いと身元保証、意思決定支援
一方で、日本の事情をそのまま英国に重ねることはできない。日本の病院では、感染対策や人手の問題から付き添いや面会が制限されることがある半面、入院時には家族が「キーパーソン」や身元保証人として深く関わることを当然のように求められる。家族にとっては、付き添いたくても付き添えない制約と、関与を強く期待される負担が同居している。この入院時に家族が担う具体的な役割については、親の入院中に家族がやること(キーパーソン・医師との連携・退院準備の3軸)で整理している。
ジョンズ・キャンペーンが示すのは、「家族を入れるか/入れないか」という二択ではなく、「家族を治療チームの一員として、どう協働してもらうか」という発想の転換だ。本人が自分で意思を伝えにくくなったとき、その人の歴史や好み、ささいな表情の変化を読み取れるのは、多くの場合いちばん近くにいた家族や介護者である。これは、本人の意思を尊重しながらケアを決めていく意思決定支援の出発点でもある。
大切なのは「付き添わせる」ことではなく「選べる」こと
ここで取り違えてはいけないのは、この運動が「家族はずっと付き添うべきだ」と求めているわけではない、という点だ。介護を担う家族には、休む権利も、仕事や自分の生活を守る権利もある。ジョンズ・キャンペーンが繰り返すのは、付き添いは「義務」ではなく「権利」であり、本人と家族が必要とするときに、その選択肢が制度や慣行によって閉ざされていないこと、それ自体が大切だという考え方だ。日本でも、面会や付き添いのルールを一律に決めるのではなく、本人の状態に応じて柔軟に開いておくこと。そこにこの物語の示唆がある。
参考文献・出典
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まとめ
ジョンズ・キャンペーンは、特別な技術や予算から生まれた運動ではない。一人の家族が「父はあの面会制限さえなければ、こんなに急には衰えなかったかもしれない」という痛みを、同じ思いを抱えた無数の人々と分かち合うなかで形になった。そして「家族の付き添いは、お見舞いではなくケアの一部だ」という、当たり前のようでいて見過ごされてきた考え方を、英国の病院文化のなかに静かに広げていった。
日本でも、感染対策や人手不足のなかで、面会や付き添いをどう扱うかは常に難しい判断を迫られる。だからこそ問いたい。あなたの身近な人が認知症とともに入院することになったとき、そばに居たいと願う家族の声は、どれだけ「治療の一部」として聞き入れられるだろうか。そして私たちは、安全と尊厳のあいだで、どんな選択肢を残しておくべきなのだろうか。
執筆者
介護のハタラクナカマ編集部
編集部
介護業界の転職・キャリア情報を発信。厚生労働省の公的データと現場の声をもとに、介護職で働く方・転職を検討する方に役立つ情報をお届けしています。
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