ニワトリが高齢者を救う?|イギリス・HenPowerが引きこもりがちな高齢男性を変えた話

ニワトリが高齢者を救う?|イギリス・HenPowerが引きこもりがちな高齢男性を変えた話

イギリス北東部ゲーツヘッドの慈善団体Equal Artsが2011年に始めたHenPower。介護施設で本物のニワトリを飼い世話することで、引きこもりがちだった高齢男性が生き生きとし、孤独やうつ、向精神薬の使用が減ったと評価された。日本の高齢者の社会的孤立と役割づくりの視点で読み解く。

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イギリス北東部ゲーツヘッドの慈善団体Equal Artsが2011年に始めた「HenPower(ヘンパワー)」は、介護施設で本物のニワトリを飼い世話する取り組みで、引きこもりがちだった高齢男性が生き生きとした。ノーサンブリア大学の12か月評価では、参加者の孤独感やうつの軽減、介護現場での向精神薬の使用の減少が報告された。鍵は「動物に癒される」ことより、世話という役割と人との関わりが生まれたことにある。日本でも高齢男性の社会的孤立は深刻で、この事例は役割づくりという視点を投げかける。

目次

イギリス北東部、ニューカッスル近郊のゲーツヘッド。ある介護施設で、認知症のある男性入居者が「自分の女の子たち(the girls)」のことをしきりに話していた。スタッフが耳を傾けると、その「女の子たち」とは、彼がかつて庭で飼っていたニワトリのことだった。世話をする毎日の習慣を、彼は手放したことを寂しがっていた。

この小さな気づきから、ひとつのプロジェクトが生まれた。アート系の慈善団体Equal Artsが2011年に始めた「HenPower(ヘンパワー)」。介護施設や高齢者住宅で、入居者自身が本物のニワトリを飼い、世話をする取り組みだ。参加者は「henthusiast(ヘンせい、鶏好き)」や「hensioner(ヘンシオナー、鶏を飼う年金生活者)」と呼ばれ、卵を集め、小屋を設計し、地域の学校や祭りにニワトリを連れて出かける。

とりわけ変化が大きかったのは、社会的な活動に参加しにくく、引きこもりがちだった高齢男性たちだった。本稿では、複数の報道と大学の評価をもとにHenPowerの実像をたどり、なぜこれが日本の高齢者ケア、とくに「男性高齢者の孤立」と「役割づくり」を考えるうえで示唆に富むのかを読み解く。

6羽のニワトリと、自腹で買い替えた小屋

始まりは300ポンドの中古の鶏小屋

HenPowerを立ち上げたのは、ゲーツヘッドを拠点とするアート系慈善団体Equal Arts(イコール・アーツ)だ。同団体のディレクター、ダグラス・ハンター氏はThe Guardianの取材に対し、プロジェクトの発端をこう語っている。介護施設で活動していたとき、認知症のある入居者が「自分の女の子たち」のことを話していた。それがニワトリのことだとわかり、彼が世話の習慣を懐かしんでいることに気づいたという。

そこでEqual Artsは、約300ポンドで中古の鶏小屋と6羽のニワトリを用意した。すると4か月後、小屋を買い替える必要が出たとき、その価値を実感していた施設スタッフが、自分たちのお金で新しい小屋を購入したという。現場が手応えを感じていたことを物語るエピソードだ。

「年金生活者」が「ヘンシオナー」になる

HenPowerは2012年から13年にかけて本格的に展開され、イギリス北東部の20を超える介護施設で、認知症のある人を含む約700人の入居者を支えるまでに広がった。Equal Artsによれば、現在はイギリス国内の40を超える介護施設で展開され、オーストラリア、台湾、オランダなど海外にも広がっている。

この取り組みのトーンは、どこか軽やかでユーモラスだ。Equal Arts自身が「henthusiasm(ヘンせい)」「hensioner(ヘンシオナー)」といった言葉遊びを楽しんでいる。だがその軽さの裏にある狙いは真剣だった。高齢者の社会的孤立を減らし、うつを防ぎ、生きる張り合いを取り戻すこと。資金は宝くじ基金(Big Lottery)の「Silver Dreams」プログラムから提供され、報道によれば初期資金は16万ポンドにのぼった。

孤独・うつ・向精神薬が減ったと評価された

ノーサンブリア大学の12か月評価

HenPowerの効果は、印象論だけで語られたわけではない。ノーサンブリア大学の研究チームが、グレンダ・クック教授(Prof Glenda Cook)の主導で、2012〜13年にかけて12か月間の評価を実施し、2014年に報告書を公表した。評価では孤独感やうつ、ウェルビーイングを測る既存の評価尺度が用いられた。

The Guardianの報道とEqual Artsの公式サイトによれば、この評価はHenPowerが「高齢者の健康とウェルビーイングを改善し、介護施設におけるうつ・孤独・向精神薬の必要性を減らしている」と結論づけたとされる。とくに認知症ケアの現場では、入居者の興奮(agitation)がやわらぎ、向精神薬の使用が減ったとスタッフが報告したという。向精神薬は高齢者にとって転倒や健康リスクと結びつきやすいだけに、その使用が減るという報告は現場にとって重い意味を持つ。

「次に怖いのは、孤独だ」

参加した高齢者自身の言葉も残されている。87歳のヘンシオナー、オシー・クレスウェルさんは「失明の次に怖いのは孤独だ。それは大きな苦しみで、多くの人を壊してしまう。私自身が経験したから分かる。この歳になって、ニワトリは私たちの人生でいちばん大きな存在だ」と語っている。

「アニマルセラピー」とは少し違う

ここで注意したいのは、HenPowerが単なる「動物に癒されるセラピー」ではない、という点だ。評価に関わったクック教授は、HenPowerを「人と人との関係性を中心に据えた取り組み」であり、個人と動物の関係に重きを置くペットセラピーやアニマルセラピーとは「とても異なる理念とアプローチ」だと説明している。現地を取材した学術メディアThe Conversationの記者も、当初は「よくある善意のセラピー」を予想していたが、実際に見たのは、餌やりや小屋の計画をめぐって入居者たちが活発に議論し、社会的なつながりを保っているコミュニティだったと記している。つまり鍵は、ニワトリそのものよりも、世話という「役割」と、そこから生まれる人どうしの関わりにあった。

効果をどこまで言い切れるか

もっとも、この評価には限界もある。クック教授へのインタビュー記事では、参加者の人数が少なく、また高齢の入居者は病気や近しい人との死別など、動物介在の取り組みでは支えきれない要因も多く抱えているため、定量データと定性データのあいだに差が出たことが率直に語られている。HenPowerの効果は「報告・観察された」ものであって、厳密な大規模試験で因果が証明されたわけではない。それでも複数の独立した報道と大学評価が同じ方向の手応えを伝えている点は、この取り組みの説得力を支えている。

日本への示唆:高齢男性の孤立と「役割づくり」

日本でも「男性高齢者の孤立」は深刻

HenPowerが最初に向き合ったのは、社会的な活動に参加しにくい高齢男性の孤立だった。これは日本にとっても他人事ではない。地域の集まりや体操教室、サロンといった場は、参加者が女性に偏りやすく、男性高齢者が足を運びにくいことはしばしば指摘される。仕事を離れたあと、人とのつながりや役割を失いやすいのは、日本の男性高齢者にも共通する課題だ。社会的孤立や孤独は気分の落ち込みにとどまらず、死亡リスクそのものを高めうることがメタ解析で示されており、放置できないテーマである。

「世話される」から「世話する」へ

HenPowerの核心は、高齢者を「ケアされる側」から「ニワトリを世話し、卵を集め、小屋を設計し、来客に説明する側」へと位置づけ直したことにある。これは日本のケアでいう役割づくりの考え方とよく重なる。人は誰かや何かに必要とされ、自分の手で世話をする対象があるとき、生きる張り合いを取り戻しやすい。デイサービスや施設でのレクリエーションが「してもらう」受け身の活動になりがちな場面でも、世話する役割を渡すという発想は応用が利く。

園芸療法・動物との関わりの文脈で

日本の介護現場でも、園芸活動やアニマルセラピー、ロボットセラピーといった取り組みは少しずつ広がっている。HenPowerが教えてくれるのは、こうした活動を「癒しを与えるもの」としてだけ捉えると、その力を半分しか引き出せないかもしれない、ということだ。大切なのは、高齢者自身が責任と裁量をもって関わり、仲間と相談しながら進める「場」をつくること。植物でも、地域の活動でも、世話と関わりが生まれる対象であれば、形は問わないとも言える。

効果と限界を公平に見る

もちろん、生き物を施設で飼うことには現実的なハードルもある。衛生管理、アレルギーへの配慮、世話の負担、そして動物福祉、つまりニワトリ自身が適切に世話される環境が保てるか。HenPowerが成り立ったのも、運営団体の支援や資金、ボランティアの存在があってのことだ。万人向けの万能策ではなく、誰もが鳥や動物を好きなわけでもない。それでも、海外で同じく世代間ケアや社会的つながりを軸にしたオランダの学生が高齢者ホームに住む取り組みと並べてみると、共通する一本の線が見えてくる。高齢者を孤立から救うのは、特別な医療やテクノロジーである前に、役割と関わりだということだ。

まとめ

イギリス・ゲーツヘッドのHenPowerは、認知症のある男性が「自分の女の子たち」と呼んだニワトリの記憶から始まった。世話という役割と、仲間との関わりを取り戻すことで、引きこもりがちだった高齢男性が生き生きとし、孤独やうつ、向精神薬の使用が減ったと評価された。それは「動物が癒してくれた」物語というより、「人にもう一度、必要とされる場が返ってきた」物語だ。

日本でも、定年後に役割とつながりを失いやすい高齢男性の孤立は静かに進んでいる。ニワトリを飼うかどうかが本質なのではない。あなたの身近な高齢者には、いま「世話する対象」や「任される役割」があるだろうか。ケアを「してあげる」だけでなく、その人が誰かや何かを世話できる場をつくれないか。HenPowerの小屋のなかには、そんな問いかけが詰まっている。

執筆者

介護のハタラクナカマ編集部

編集部

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