バス停は「どこにも行かない」|ドイツの介護施設が生んだ、認知症ケアのやさしい工夫

バス停は「どこにも行かない」|ドイツの介護施設が生んだ、認知症ケアのやさしい工夫

ドイツ・デュッセルドルフの高齢者施設ベンラートが敷地に「バスの来ない偽のバス停」を設置。家に帰りたいと不穏になった認知症の入居者が、そこに座って待つうちに落ち着く。日本の帰宅願望・徘徊ケアに何を示すかを読み解く読み物。

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ドイツ・デュッセルドルフの高齢者施設ベンラートは、敷地に「バスが一台も来ない偽のバス停」を設けた。「家に帰りたい」と落ち着かなくなった認知症の入居者が、そのベンチに座ってバスを待つうちに気持ちが和らぎ、職員が「次のバスは遅れています、お茶でもどうですか」と声をかけて施設に戻す。本人を力で止めず、その人が生きている現実に寄り添うこの工夫は、日本の帰宅願望・徘徊のケアにも通じる視点を投げかける。

目次

その人は、毎日のように施設の玄関へ向かう。「もう帰らなくちゃ」。コートを羽織り、バッグを握りしめ、まなざしは外に向いている。引き止めれば険しい顔になり、ときには本気で外へ出ていってしまう。認知症のケアにたずさわる人なら、一度はこの場面に立ち会ったことがあるはずだ。

ドイツのある高齢者施設は、この「帰りたい」という強い気持ちに、力でも薬でもない方法で向き合うことにした。施設の前に、本物そっくりの「バス停」を立てたのだ。緑と黄色の標識、時刻表、ベンチ。街じゅうのバス停と見分けがつかない。ただ一点だけ違うのは、そこにはバスが一台も来ないということだった。

「家に帰りたい」と落ち着かなくなった入居者は、職員に止められるのではなく、自分の意思でそのベンチに腰かける。バスを待つ。やがて職員が「次のバスは遅れているようです、よかったら中でお茶でもどうですか」と声をかけると、本人は素直に立ち上がり、ほどなく出ていきたかったことすら忘れていく。この一風変わった工夫は、本人の尊厳を守りながら安全も守る方法として、ドイツ各地、そしてヨーロッパへと広がっていった。この記事では、その始まりと仕組みをたどりながら、日本の「帰宅願望」や「徘徊」のケアに何を示すのかを考えてみたい。

始まりは、デュッセルドルフの一つの施設

始まりは、デュッセルドルフの一つの施設だった

この取り組みが最初に生まれたのは、ドイツ西部の都市デュッセルドルフにある高齢者施設「ベンラート・シニアセンター(Benrath Senior Centre)」だ。報じたのは英紙テレグラフの記者ハリー・ド・ケットヴィルで、2008年のことだった。入居者の平均年齢はおよそ84歳。その多くが認知症をかかえていた。

施設が頭を悩ませていたのは、入居者が「家に帰る」ために外へ出ていってしまうことだった。職員は途中で気づいて連れ戻すことが多かったが、見つからないときには警察に頼って捜してもらうしかなかった。家族への連絡、捜索、見つかるまでの不安。ある入居者は、亡くなった母をさがして子ども時代の家までたどり着き、そこに見知らぬ家族が住んでいるのを見て立ち尽くした、という出来事も伝えられている。

当時、施設がとれる手段は限られていた。部屋に鍵をかけて閉じ込めるか、薬で鎮めるか。どちらも本人の尊厳を大きく損なうもので、職員はそれを望ましいとは考えていなかった。「帰りたい」という気持ちそのものを否定したり、力で押さえつけたりせずに、どうすれば安全を守れるのか。施設はその答えをさがしていた。

「バスの来ないバス停」という発想

解決のヒントをくれたのは、地元のケア団体だった。報道によれば「オールド・ライオンズ(Old Lions)」という名の団体で、その会長フランツ=ヨーゼフ・ゲーベル氏が関わっている。アイデアは単純だった。施設の前に、本物と見分けのつかないバス停を作る。そして、そこにはバスを走らせない。

地元の交通事業者であるラインバーン(Rheinbahn)が協力し、デュッセルドルフ市内とまったく同じ仕様のバス停が施設の玄関先に設置された。緑と黄色の標識、掲示された時刻表、街なかと同じベンチ。あまりに本物らしく作られていたため、近所の住民が本当にバスを待ち始めてしまい、事情を知る職員がやんわり説明する一幕もあったという。

ゲーベル氏は「おかしな話に聞こえるかもしれないが、これが役に立つ」と語っている。多くの入居者にとって、緑と黄色のバス停の標識は「ここで待てば家に帰れる」という、長い人生で身についた記憶と結びついている。だからこそ、職員に止められて不穏になるかわりに、自分の意思でそのベンチに腰を下ろし、静かにバスを待つことができる。

バス停がしてくれること

「次のバスは遅れています、お茶でもどうですか」

入居者がバス停のベンチに座ると、職員はあわてて連れ戻そうとはしない。しばらく見守り、頃合いをみて「次のバスは遅れているようです」「少し時間がかかりそうなので、よかったら中でお茶でもどうですか」と声をかける。施設長のリヒャルト・ノイライター氏は、職員が「バスはあとから来ますよ」と伝える、と報道で語っている。

すると多くの場合、本人は素直に立ち上がり、施設へ戻っていく。そして報道によれば、五分も経てば、自分が出ていきたかったことすら忘れてしまうという。「帰りたい」という強い感情のピークを、ベンチで待つ時間がやわらかく通り過ぎさせる。否定も説得も、力での制止もなしに。

この工夫がうまくいった背景には、一つの考え方の転換がある。認知症が進んだ人に「ここがあなたの家ですよ」「お母さんはもう亡くなっています」と正論で説き伏せても、本人を納得させることは難しく、かえって混乱や不安をまねくことがある。ある医療系の媒体に語られた施設長の言葉が、その姿勢をよく表している。認知症の人とは理屈で言い争うことはできない、だから「その人が生きている現実のなかで、その人に接するのです」というのだ。バス停は、本人を私たちの現実に引き戻す装置ではなく、本人の現実の側にそっと寄り添うための小道具なのだといえる。

ドイツから各地へ、そして問い直しも

ベンラートの試みは評判を呼び、デュッセルドルフ市内のほかの施設、さらにドイツ各地、そしてヨーロッパの施設へと広がっていった。本人を閉じ込めたり鎮静したりせずに、警察沙汰になりかねない外出を減らせること。そして何より、本人の尊厳を守れること。これらが高く評価された。

一方で、この方法には議論もある。2019年に学術誌(Israel Journal of Health Policy Research)に発表された論考は、偽のバス停を「やさしい嘘」をめぐる倫理の問題として正面から論じている。本人をだますという行為そのものが許されるのか、判断する力を欠いた人にその場から離れる選択肢を与えていないのではないか、という指摘だ。公共の場に設けることで、そこに座る人が「認知症の人」だと周囲に知られてしまう懸念や、嘘がケアの信頼関係を損なう可能性、そもそも効果を厳密に検証した研究がまだ乏しいことも挙げられている。つまりこれは万能の答えではなく、本人の状態や施設の状況に応じて慎重に考えるべき工夫なのだ。

日本の「帰宅願望」「徘徊」ケアへの示唆

日本にもある「帰りたい」という気持ち

「家に帰りたい」と訴え、玄関や出口に向かおうとする。夕方になると落ち着かなくなる。日本の介護現場でもおなじみのこの姿は、帰宅願望と呼ばれる。本人にとっての「家」は、今いる施設や実家ではなく、子育てをした昔の家や、すでに亡くなった家族が待つ家であることも少なくない。その人にとっては切実な、まっとうな願いなのだ。そして安全への配慮から外出を見守る必要がある状態は、徘徊行動として理解されている。

日本の認知症ケアでも、この「帰りたい」を頭ごなしに否定しないことが基本とされている。「ここがあなたの家です」と事実を突きつけるより、「そうですか、お家が気になりますよね」と気持ちをいったん受けとめる。お茶に誘ったり、役割のある作業に気持ちを向けてもらったりして、不穏のピークをやわらかく流す。ドイツのバス停がやっていることは、まさにこの「受けとめて、そらす」を、街の風景という形にしたものだといえる。本人を力で止めるのではなく、本人の側の現実にこちらが歩み寄る。その発想は、日本で大切にされてきた声かけや関わりの考え方と、深いところで重なっている。

真似することより、考え方を持ち帰る

では日本の施設も偽のバス停を作ればよいのか。話はそう単純ではない。日本の街では、バス停より駅や玄関、商店街のほうが「家へ向かう入口」として記憶に結びついている人もいるだろう。施設の前に偽の停留所を置けば、近隣の理解や、本物のバスを待つ人との取り違えという別の問題も生まれる。さきに触れた倫理の議論のように、判断する力が弱まった人を「だます」ことの是非も、避けては通れない。

それでも、この事例が日本に持ち帰る価値があるのは、具体的な設備そのものではなく、その奥にある考え方だ。第一に、本人を変えようとするのではなく、本人が安心できる環境のほうを整えるという発想。これは認知症の人の心理に寄り添うケアとして、日本でも研究・実践が積み重ねられてきた。たとえば、相手の世界を否定せずに関わる手法はオランダの認知症の村ホグウェイの取り組みとも通じるし、声かけや触れ方を通じて尊厳を守る関わりについては、研究エビデンスの蓄積も進んでいる。

第二に、限界とリスクから目をそらさないこと。やさしい工夫であっても、24時間の見守りを完全に代えるものではない。バス停で待つあいだに本当に立ち去ってしまう人もいるだろうし、転倒や体調の変化、季節による暑さ寒さへの配慮も要る。「だます」ことに頼りすぎず、本人が本当は何を求めているのかを問い続ける姿勢が、工夫を支える土台になる。海外の感動的な事例を「これが理想だ」と受け取って終わるのではなく、その有効性と限界の両方を持ち帰ること。それが、日本の現場でいちばん役に立つ向き合い方ではないだろうか。

まとめ

ドイツ・デュッセルドルフのベンラート・シニアセンターが始めた「バスの来ない偽のバス停」は、認知症の人の「家に帰りたい」という気持ちを、否定でも力でも薬でもなく受けとめる工夫だった。本人は自分の意思でベンチに座り、職員の「次のバスは遅れています」というやさしい声かけのうちに、いつしか落ち着いていく。この発想はドイツからヨーロッパへ広がり、同時に「やさしい嘘」の倫理をめぐる問い直しも生んだ。

大切なのは、この設備をそのまま真似ることではなく、その奥にある考え方を持ち帰ることだ。本人を変えようとするより、本人が安心できる環境を整える。そして、効果と同じだけ限界やリスクにも目を向ける。あなたの現場や家庭で、「帰りたい」という訴えに出会ったとき、その人が本当に求めているものは何だろうか。一台も来ないバス停は、私たちにそんな問いを残してくれる。

執筆者

介護のハタラクナカマ編集部

編集部

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